
『オスとは何で、メスとは何か?』性は多様で当たり前
男と女のあいだには、深くて暗い河があるという。それは真っ赤な嘘だった。 男と女、広く生物でいえばオスとメスは、独立して存在しているわけではない。 つまり、オスとメスという性が、確固たるものとして存在しているのではない。実は両者は連続しているという。 太陽光をプリズム(三角形のガラス棒)で分解すると7色の光の帯が出現する。7色はくっきりとわかれているわけではな
(2024年当時)
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男と女のあいだには、深くて暗い河があるという。それは真っ赤な嘘だった。 男と女、広く生物でいえばオスとメスは、独立して存在しているわけではない。 つまり、オスとメスという性が、確固たるものとして存在しているのではない。実は両者は連続しているという。 太陽光をプリズム(三角形のガラス棒)で分解すると7色の光の帯が出現する。7色はくっきりとわかれているわけではな

本が好きで良かったことのひとつは、読むたびに自分がいかにものを知らないかを思い知らされることかもしれない。読めば読むほど、無知を痛感させられる。愉快な気分ではないが、何も知らないよりよほどマシだと思う。無知のままで何かに加担してしまうことほど恐ろしいことはない。 本書は日本の難民問題を追ったノンフィクションだ。終末医療を扱った傑作『エンド・オブ・ライフ』でY

徒手空拳、という言葉がある。手に何も持たず、身ひとつで何かにのぞむことを指す。 漫才は文字どおり徒手空拳の芸だ。サンパチマイクの前で、全身を客に晒し、しゃべりの技術だけで勝負する。実にシンプルな芸だ。シンプルなだけに、客にも違いはすぐにわかってしまう。上手いか下手か。おもしろいかおもしろくないか。 客ウケが悪いと、芸人の表情はみるみる青ざめていく。脂汗が流れ

「沢木耕太郎が旅の本を出すらしい」 そんな噂を聞いたのは、そろそろ梅雨も明けようかという頃だった。 書棚からあわてて『深夜特急』を引っぱり出してきて読み始めた。「沢木耕太郎」と「旅」。ふたつのキーワードを耳にして、「沢木耕太郎が自身の集大成となる旅の本を出す」と早合点してしまい、ならば原点ともいえる『深夜特急』を読み直さねばなるまい、と考えたのだ。 すると文

ぼちぼち年末だというのに、年内に読み切れるのか途方に暮れるくらい注目のノンフィクションが目白押しである。その中でひとつだけ選べと言われたらこの本を推す。本書はなにをおいても読むべき傑作だ。 なにしろ当代随一のノンフィクション作家、ウォルター・アイザックソンの最新作である。アイザックソンはこれまで、スティーブ・ジョブズやレオナルド・ダ・ヴィンチ、アルベルト・ア

訃報はいつだって突然だ。著名人が亡くなると、生放送中のスタジオに報道の人間が原稿をもって駆け込んでくる。速報は一刻も早く放送するのが鉄則だが、そこに記された名前に驚き、思わず足が止まってしまうことがある。訃報にあらかじめ心の準備をしておくことなんてできない。誰かの死に慣れることはこの先もきっとないだろう。 山本文緒さんが亡くなったという報せも突然だった。 2

本を読んでいて、誤植をみつけてしまうことがある。 粗を探しながら読んでいるわけではないのに、自然と目にとまってしまう。みつけるのは衍字(えんじ、文章の間に入った余計な文字)が多い。「思いった」とか「会社にには」みたいな誤りだ。DTPが当たり前になって、この手の間違いが増えた気がする。みつけるたびに、がっかりする。 がっかりするのは、子ども時代の刷り込みのせい

「ディープステートが、メディアも、判事も掌握した。証拠がない、なんて言うのは、見ようとしていないからだ。いいか。ここにバドワイザーの缶がある。でも、目を手で覆ったら『見えない』。あるにもかかわらず、だ。証明を拒否しているにすぎない。本当は、証拠はあるんだ」 ダグラス・スイート(58歳)はこう答えた。著者のインタビューを読む限り彼は特段、過激な人物ではない。

子供が巻き込まれた悲しい事故のニュースを目にするたびに胸が痛む。幼稚園バスに置き去りにされた子供たちはどれほど心細い思いをしただろう。そんなことを想像するだけで辛い気持ちになる。 いつものように送り出した我が子が、亡骸となって戻って来る。 あってはならないことだが、時にそうした悲劇が起きてしまう。 一冊の本を紹介したい。2012年、京都市内の小学校のプールで

世の中を動かした調査報道は、社員寮での会話から始まった。 東京・港区三田に、共同通信東京本社勤務の若手らが住む「伊皿子寮」がある。 「私たち、東京に来てから何もしてないよ。このままだとやばいよね」 2020年8月のある日、寮のロビーでデリバリーの夕食をつまみながら、ふたりの女性記者が話し合っていた。鎌田理沙記者は19年春に入社し、一年間松江支局で勤務した後、

表紙をみて思わず笑ってしまった。1光年は、光の速さで1年かかる距離だ。1億光年は1億年である。にもかかわらず表紙に描かれた人物は、遥か彼方の目的地にのんきにカヌーで向かおうとしている。 だが笑った後で、はたと気づいた。言語の習得というのは、まさしくカヌーを漕ぐような行為なのではないか。前に進むかどうかは自分次第。しかも目標に到達するまで気の遠くなるような時間

東京は広い。長いこと住んでいても、まだまだ知らない場所がたくさんある。 著者は東京品川区の戸越銀座で生まれ、現在もそこで暮らしている。著者の家は祖父の代からこの地で町工場を営んでいた。 戸越銀座は五反田から東急池上線なら二駅、都営浅草線なら一駅だ。戸越銀座も五反田もそれなりに知っているつもりでいたが、所詮それはピンポイントの知識に過ぎなかった。本書を読むまで

本書には信じがたい話がいくつも出てくる。以下にその一例をあげよう。 子供が母親にこんなことを言われた。 「ゲームばかりしているとお父さんに怒られるよ。まぁ、今日はいいか。勉強もしたしね」 どこの家庭でもありそうな場面だ。母親は決して叱っているわけではなく、勉強を頑張ったご褒美に今日は特別にゲームをしてもいいよ、と言っている。むしろ子供への優しさを感じる言葉だ

私はふるさと九州をこよなく愛する人間だが、ひとつだけ、どうしても好きになれないところがある。ヤクザが幅を利かせているところだ。 九州は観光地も多い。「人と金が集まるところに暴力団あり」で、地元に根をはるヤクザが各地にいる。暴力団といえば、山口組や稲川会、住吉会などの指定暴力団を思い浮かべる人が多いだろうが、地場の暴力団の中には、そうした全国組織が容易には入っ

世の中がなんだかギスギスしているなぁと感じるようになったのは、いつ頃からだろう。電車でわずかに肩が触れただけで舌打ちされたり、高速道路で妙に煽ってくる奴がいたり、そんな些細な個人的体験だけでなく、ネットでも誰かの足を引っ張るような言説が目立つようになった。みんな何かにイラつき、余裕を失くしていた。一見、攻撃的な姿勢の裏に、人々の不安が見え隠れしているような気

ある事柄について語ろうとする時、いわく言いがたい居心地の悪さを感じることがある。たとえば「民主主義」がそうだ。「民主主義は大切だと思うか」と問われれば、迷わず「大切」と答えるが、そう即答しながらも、どこか口先だけでものを言っているような違和感が拭えない。まるでサイズのあわない借り物の服を着ているような収まりの悪さを感じてしまうのだ。 よく言われるようにそれは

スタジオジブリが出している『熱風』という小冊子に、ジャーナリストの青木理さんが聞き手をつとめる「日本人と戦後70年」という連載がある。ここに2021年8月号と9月号にわたり著者との対談が掲載された。 一読して驚いた。朝日新聞が生き残りをかけて調査報道を新たな看板に据えようとしていたこと、そのチャレンジが経営陣によって潰されたことが、生々しく語られていたからだ

連休。なんと甘美な響きだろう。 ラジオの番組作りの仕事は面白いのだが、ネックは休みがとりづらいことかもしれない。先日のゴールデンウィークも、「最大10連休」なんてニュースで伝えながらまるで他人事だった。10日なんて贅沢は言わない。3日間でいいから続けて休んでみたい。 わずか3連休でも羨ましく感じるくらいだから、2000連休なんて桁が違いすぎて想像することすら

「その悩み、○○学ではすでに解決しています」みたいなタイトルの本を見かけることがある。あなたが日々の仕事で直面する悩みや課題は、すでに最新の学説や理論で解決済みですよ、というわけだ。 だが本当にそうだろうか。最新の学説や理論を応用すれば、世の中の問題はたちどころに解決するものだろうか。 著者は政治学を専門とする大学教授である。「話すも涙、聞くも大笑いの人生の

中野の街にはランドマークがふたつある。ひとつは「アイドルの聖地」として知られる中野サンプラザ。もうひとつは中野ブロードウェイだ。 中野ブロードウェイは、中野駅北口からのびるサンモール商店街の突き当たりにある。地下1階から4階は商業施設で、大小さまざま、ジャンルも雑多な店が所狭しと並ぶ。その数は300軒とも350軒とも言われるが、誰も正確な数がわからない。権利

(知らなかった。こんなことになっていたなんて……。) 読みはじめてすぐにそう思った。かつて脚光を浴びた人物の驚くべきその後が記されていたからだ。 東京メトロ日比谷線の南千住駅の南口を出てしばらく歩くと、泪橋の交差点にさしかかる。かつてはここに思川という川が流れていた。漫画『あしたのジョー』では、丹下段平のボクシングジムは泪橋の下にあるという設定だったが、現在

「ぼけますから、よろしくお願いします。」――これは2017年のお正月に著者の母親が言った言葉です。当時87歳の母親は、この時すでに認知症を患っていました。当事者が自ら「ぼけます」宣言をするなんて、なんともとぼけたユーモアがあります。 著者はこれまでテレビで数多くのドキュメンタリー番組を手がけてきました。広島県呉市で暮らす両親の老老介護を取り上げ放送したところ

映画業界の性加害報道が相次いでいる。週刊文春の報道をきっかけに被害にあった女性たちが次々に声をあげ、業界にはびこる性暴力の実態が明るみにでた。一部の良識ある映画監督や原作者たちも性暴力に反対するアクションを起こした。この流れは止まらない。かつてアメリカの映画業界を変え、世界にも影響を及ぼしたあの動きが、ようやく日本にも波及したのかもしれない。 本書の著者ロー

ジャーナリズムの使命は、「人々が本当に知りたいこと」を伝えることである。 それが唯一にして最大の役割といっていいかもしれない。だが「本当に知りたいこと」は隠されていることが多い。国家や権力者にとって知られては困る不都合な事実だからだ。 いま世界でもっとも注目されている調査報道機関が〈ベリングキャット〉である。その成果は驚くべきもので、彼らは国家や権力者が隠し

本書の書き出しは穏やかではない。なにしろ京都で名高い縁切り神社の話から始まるのだ。そこは「悪縁」を切ることのできる最強の縁切り神社として知られる。訪れた人は、境内にある巨石が参拝者によって糊付けされた形代(白いお札)でびっしりと覆われているのに圧倒されるだろう。 著者は神社のすぐ近くまで足を運びながら、縁が本当に切れてしまうことにためらいを覚え、結局行くのを

「あなたはこの先、コロナ禍のことを忘れてしまうだろう」 もし面と向かってこんな予言をされたら、あなたはどんな反応を示すだろうか。「そんなのあり得ない」と反発するかもしれない。だがこれには先例がある。1918年から1920年にかけて猛威をふるったスペイン風邪である。 スペイン風邪は史上もっとも多くの人間を死に至らしめた感染症だ。にもかかわらず、同時代の表現者た

「アマチュアは勝ちを語り、プロは負けを語る」という。 本書は、捜査のプロが負けについて語ったものだ。負けた記憶は、警察を辞めた今もなお、棘のように刺さったまま著者を苛んでいる。 刑事にとって事件は「解決して当然」のものであり、未解決はすなわち敗北を意味する。著者が捜査一課として深く関与した2つの事件は、いずれも未解決に終わった。その事件とは、警察庁広域重要指

この人をみるたびに、「アンバランス」という言葉が思い浮かぶ。元参議院議員の河井案里である。芸能人や文化人にもアンバランスな人は多いが、そうした人々特有の才能の過剰さからくるバランスのなさと、彼女から感じるそれはニュアンスが異なる。 人目をひく派手な外見ながら、どこか無理をしているような雰囲気があるところがバランスを欠いた印象を与えるのかもしれない。本書を読ん

近所を散歩していて、なんだか最近お洒落な女の子が増えた気がするなぁと思っていたのだが、オープンまもない北欧カフェがお目当てらしいとわかり、なるほどと納得した。 世に北欧好きは多い。シンプルで温かみのあるデザインの家具、女性の社会進出が日本よりも進んでいること、子どもたちの高い学力などが好印象の理由だろうか。SpotifyやIKEA、H&M、LEGOといった企

傷跡から血が滲み出ているような一冊だ。 読み終えた後もずっと「凄いものを読んだ」という余韻が消えない。早くも今年のベスト級の一冊に出会ってしまった。本書は当事者ノンフィクションの傑作である。 著者は「修復的司法」の研究者である。修復的司法というのは、1970年代に欧米を中心に広まった紛争解決のアプローチで、従来の刑事司法では、国家が犯罪者を処罰することで問題

「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」とは、ドイツの哲学者、テオドール・アドルノの言葉だ。アウシュヴィッツを生んだ文明の野蛮さを乗り越えることなしには、人間の存在も野蛮なままだと彼は考えた。 だが残念ながら21世紀も事態は変わっていない。それどころか「より洗練された野蛮」とでも呼ぶべき事態が出来している。本書は中国の新疆ウイグル自治区で進行中の恐

他人にホラ話を信じさせるコツは、9割の嘘に1割の真実を混ぜることだという。これが刑事ドラマとなると、そうはいかない。合言葉は「3割のリアル」。7割の嘘に3割の本当が求められるのが刑事ドラマなのだ。そんな刑事ドラマのリアリティを支える知られざる職人集団。それが「チーム五社」である。 五社英雄といえば、時代劇におけるリアリティを追究した監督として知られる。肉を斬

書名をみて「ん?」と思った。 「切り札?変革できるか?答えはもう出ているのでは……」 首をひねりながら手に取ったのだが、はたせるかなこのタイトルは反語だった。 書名の脇に添えられた、しかめ面のイラストがそのことを物語っている。 著者は月刊誌『近代柔道』を主な舞台に、30年以上にわたり柔道界を見続けてきたジャーナリスト。本書は日本柔道界への渾身の提言である。

混乱の記録である。同時にきわめて貴重な記録でもある。人類の歴史に残る新型コロナウイルスとの闘い。その最前線で何が起きていたのかが本書で初めて明らかになった。 著者は保健所と東京都庁の感染症対策部門の課長として、新型コロナ対策の第一線で指揮をとった公衆衛生医師である。メモ魔を自認する著者の記録は詳細をきわめる。保健所の苦境は報道などを通じ多少は知っているつもり

最高の聞き手同士が対話をするとどうなるか。本書はその希有な例である。他人から話を聞くプロである2人が、「聞く」ことの実際を語り合った。 著者の1人である信田さよ子は、カウンセリングの第一人者。原宿に開業したカウンセリングセンターを訪れる人々の話に耳を傾け、依存症やDV(ドメスティックバイオレンス)、児童虐待などの問題にいち早く取り組んできた。 もう1人の著者

今年は異常な年だった。いや、昨年に続いて、というべきかもしれない。 「あっという間に年末ですね」「なんだか1年が終わる手応えがないですよね」同じような会話を1年前も交わしていたような気がする。 2020年と2021年は、疫病とオリンピックの年として記憶されるだろう。 パンデミックと祭典は私たちに何をもたらしたか。本書はコロナ禍とオリンピックに揺れた日々を、

遍路については、恥ずかしながらたいして知識がなかった。なにしろこの本を読むまで、そば打ちと同じように、「仕事をリタイアした男性が手を出しがちなもの」くらいにしか思っていなかったのだから。 弘法大師(空海)ゆかりの四国八十八箇所の札所を回る遍路は、現在年間20万人ほどいるという。ほとんどはバスや車を利用して回るカジュアルなお遍路さんだが、中には遍路で生活して

本を読み終えて顔を上げた瞬間、いまどこにいるのかわからないような感覚に襲われた。一瞬とはいえ、自分を見失ったような気がしたのはなぜだろう。いましがた読み終えたばかりの本に書かれていたのは、ついこの間の出来事である。にもかかわらず、この本に描かれた時代といまとはまるで違う世界のようだ。 そうか、とようやく思い至る。文字通り世界が変わったのかもしれない。私たち

「誰かを論破できる人ってカッコいいと思うんですよ」。若い友人の口から飛び出した言葉に驚いた。彼が憧れるのは、「論破王」と呼ばれる著名人だという。SNSやテレビのワイドショーで、次々に相手を言い負かす姿がたまらないらしい。そんな話を聞いて、面白いと感じる一方、ちょっと考えさせられてしまった。 実は、この著名人流の「論破」が成り立つには、舞台装置が必要だ。ツイッ

本書の主人公は、「霞が関のジローラモ」と呼ばれた異色の官僚である。 ジムで鍛えた厚い胸板の上に派手なストライプ柄やカラフルな色のシャツをまとい、ピンクやパープルなどのネクタイを締める。肌は赤銅色に焼け、髪型は側頭部を短く刈り、頭頂部にふくらみをもたせたソフトモヒカンのようなスタイル。官僚のイメージからおよそかけ離れた外見のこの人物を、いつしか人々はイタリア人