『ネアンデルタール人は私たちと交配した』は、人類のルーツをめぐる最大のミステリーを古代ゲノム解読で突き止めた、スヴァンテ・ペーボ博士による回想記である。
本書の読みどころは、科学的な実験によって明かされる様々な事実の面白さのみならず、それを導き出すまでの長きに渡るプロセスも、余すところなく描いている点だ。「科学の営み」における光と影、その両面を知り尽くした分子古生物学者・更科 功博士の巻末解説を特別に掲載いたします。(HONZ編集部)
私たち現生人類、すなわちホモ・サピエンスは、二番目に脳が大きいヒト族である。そのホモ・サピエンスのひとりが、地球の歴史上、一番脳が大きいヒト族であったネアンデルタール人に興味を持った。彼はまったく新しい方法を使って、これまでまったくわからなかったネアンデルタール人の行動を明らかにした。それは、私たちホモ・サピエンスとネアンデルタール人の性交渉である。ホモ・サピエンスとネアンデルタール人は、セックスをしていたのだ。
数万年前に、私たちホモ・サピエンスとネアンデルタール人が出会った時に、何が起きたのか。石器の技術が伝わるといった文化的交流はあったらしい。おそらく物々交換も行われていた。もちろん、争うこともあっただろう。ネアンデルタール人が絶滅したのは、ホモ・サピエンスが虐殺したからだと推測する人もいるぐらいだ。しかし実は、両者が争ったことを示す明確な証拠は今のところない。希望的観測かも知れないが、両者の関係は、おおむね良好なものだったのではないだろうか。
ネアンデルタール人の骨格の復元(左)と、現代人の骨(右)。©Ken Mowbray, Blaine Maley, Ian Tattersall, Gary Sawyer, American Museum of Natural History.
スヴァンテ・ペーボ博士 ©Frank Vinken
ペーボは「ズル」をしなかった
私(更科)は、神奈川県の茅ヶ崎の近くにある私立大学で、非常勤講師をしている。もともとは短期大学だったせいか、敷地はそう広くないけれど小ぎれいで、周囲は木々の緑に囲まれている。とても気持ちのよいところで、行くのが毎週楽しみだが、駅から遠いのだけが、ちょっと不便である。最寄り駅が二つあるのだが、どちらもバスで30分近くかかる。しかもピークを外すと、バスの本数が少ないのだ。 そろそろ木枯らしが吹き始めたある日、帰ろうと思って大学構内にあるバスロータリーに行くと、そこは学生であふれかえっていた。もう夜だったのだが、何か大学でイベントでもあったのかも知れない。長蛇の列がバスロータリーからはみ出し、大学の中心につながる通路にまで伸びている。遅い時間にこんなに混むのは珍しいので、学生も驚いたのだろうか、半分喜んでキャアキャア騒いでいる。まるでお祭りのようだ。まあ私は、うるさいのは嫌いではないので、周りでキャアキャア騒いでいるのは楽しいのだが、とにかく並ばなくてはバスに乗れない。バスの間隔は20分から30分である。次のバスに乗るのは絶対に無理なので、乗れるのはその次か、さらにその次になるだろう。 そういう状況になると、ちょっとズルイことをする学生が現れる。 「知り合いの女の子を見つけて、入れてもらおうぜ」 そんなことを言いながら、どんどん前の方に行ってしまう学生がいる。なんで「女の子」なのかはよくわからないが、女子学生の方が頼まれると断りづらくて、入れてもらえるということなのかも知れない。たしかに寒空の下で、1時間近くも待つのはつらい。でもほとんどの学生は、ズルをする人に文句を言うでもなく、正直に並んでいる。心の中では面白くないと思っている学生もいるかも知れないが、それでも正直に並んでいる。 そんな学生を見ると、私はペーボを思い出すのだ。ペーボもやはり、バスを待って並んでいたのだ。冷たい風が吹きすさぶロータリーで、ズルをする学生に追い越されながら、正直に並んでいたのだ。それも1時間ではない。二十年も並んでいたのだ。いい加減な『ジュラシック・パーク』研究の流行
時は1990年。ペーボのグループがせいぜい一万数千年前の古代DNAを研究していた頃のことだ。ある別のグループが、衝撃的な論文を発表した。なんと約2000万年前の植物の化石からDNAを抽出し、そのDNAの塩基配列を決定したというのだ。これまでペーボが研究してきた古代DNAよりも千倍以上も古い。しかも報告されたのは820塩基対もあるDNAだ。ペーボたちが報告してきた100塩基対程度のDNAよりもはるかに長い。世界はペーボたちの研究のことなどすっかり忘れて、この植物化石の古代DNAに夢中になった。 さらにこの1990年は、『ジュラシック・パーク』という小説が出版された年でもあった。この小説では、植物の樹液が固まった琥珀の中から、蚊の化石が発見される。この蚊は恐竜の血液を吸っていたので、小説の中の研究者は、蚊の化石から恐竜のDNAを取り出すことに成功する。そして生きた恐竜を現代によみがえらせてしまうのだ。 だが、この小説は、ただの夢物語では終わらなかった。この『ジュラシック・パーク』が映画化された1992年には、本当に琥珀の中のシロアリから古代DNAが抽出されたという論文が発表されたのだ。この琥珀の中のシロアリは、約3000万年前のものだった。そしてその後も、琥珀の中の昆虫からDNAが抽出されたという報告は続き、ついには1億年前よりも古いDNAまで報告されるようになった。 だが、ペーボにはわかっていた。古代DNAを取り出すことは、とても難しい。化石の中にあるDNAのほとんどは、後の時代に混入したDNAなのだ。古代DNA専用のクリーンルームで細心の注意をはらって抽出しても、まだ不十分なのだ。さらに様々な工夫をして、混入しているDNAを除かなくてはならない。 しかし、数千万年前よりも古いDNAを報告している論文はみな、そういう古代DNAの抽出には必須の手続きを全くふんでいなかった。はっきり言って、いい加減な論文だらけだったのだ。そもそも、そんなに古いDNAが残っているはずはないのだ。そもそも、そんなに長いDNAが残っているはずもないのだ。しかし世界は、いい加減な論文が報告し続ける衝撃的な結果に沸いていた。そしてついに1994年には、恐竜のDNAが報告されることになる。8000万年前の恐竜のDNAだ。もちろんペーボは反論したが、なかなか熱狂は収まらなかった。ネアンデルタール・レースで大逆転
このころのペーボの心中は、察するに余りある。ペーボは数万年前の古代DNAを抽出するにも大変な労力を使い、DNAの塩基配列も細かく検討して、やっとのことで正しいと思われる結果を導き出していた。だが多くのグループは、大した工夫もせずに1億年ぐらい前の古代DNAの抽出を試み、明らかに間違った結果を発表しては、世間の賞賛を浴びていたのだ。そんな風潮の中で、ペーボは疲れて反論をしなくなっていく。そして、たとえ世間の注目を浴びなくとも、自分の研究を地道にきちんとして、正しい結果を報告していこうと思うようになる。そう決意したペーボの姿を、私は慕わしく、また尊いものに思う。彼はどんどん人に追い越されながらも、正直にバスに並び続けたのだ。
2010年ライプツィヒにて、ネアンデルタール・ゲノム研究グループのメンバー。 ©MPI-EVA.
ネアンデルタール人の基準標本の右上腕骨と、ラルフ・シュミッツが1996年に切り出した標本。©R.W.Schmitz, LVR-LandesMuseum Bonn.
更科 功(さらしな・いさお)
1961年生まれ。理学博士。東京大学教養学部卒業後、民間企業を経て東京大学大学院理学系研究科へ。現職は東京大学大学院研究員、立教大学・成蹊大学・東京学芸大学非常勤講師。
著書に古代DNA研究についてわかりやすく解説し、講談社科学出版賞を受賞した『化石の分子生物学 生命進化の謎を解く』(講談社現代新書)、訳書にサイモン・コンウェイ=モリス『進化の運命』(講談社)がある。
