
『人にはどれだけの物が必要か―ミニマム生活のすすめ』 文庫解説 by 浜 矩子
映画になるな。本書を読み終えて、ただちにそう思った。 オープニング・シーン。人品卑しからぬオジサマが、道を行く。正体不明だ。時折り、かがむ。その動作が何回か繰り返される。何をやっているのか。手元にぐっとカメラが迫る。お、なんと。空き缶を拾っている。釘を拾っている。紙切れを束ね集めている。 次第にフェードアウト。そして、森林が、山脈が、大地が、里山が画面一杯に
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映画になるな。本書を読み終えて、ただちにそう思った。 オープニング・シーン。人品卑しからぬオジサマが、道を行く。正体不明だ。時折り、かがむ。その動作が何回か繰り返される。何をやっているのか。手元にぐっとカメラが迫る。お、なんと。空き缶を拾っている。釘を拾っている。紙切れを束ね集めている。 次第にフェードアウト。そして、森林が、山脈が、大地が、里山が画面一杯に

強ェえ男が好きだ。強ェえ男を見たい。強ェえ男を聞きたい。強ェえ男を笑いたい。強ェえ男に畏怖えたい。 そんな事を50年以上は考えている。本書はそんな俺の願望を余す所なく、有り余る程満たしてくれている。 50年以上も”強き者”に目を光らせていたハズなのに木村政彦の名はアンテナに掠った程度だった。力道山戦の敗北、柔道界の政治的な意図、理由は様々であろうが、俺はここ

あの日から、三年が過ぎようとしている。 東日本大震災が起きて間もなく釜石の地に着いたとき、私は3年後の釜石を想像することができなかった。あまりに凄惨な現実に圧倒され、目の前にある光景以外のものを思い浮かべる力が木端微塵に砕け散ってしまっていたのである。異臭と寒さと瓦礫が私にとっての被災地すべてだった。 本書の執筆は、そんな私にとって祈りともいうべき作業だった

文庫化にあたり、単行本の後書きを読み返してみた。後書きを執筆したのは2011年7月で、世の中が東日本大震災の余波の真っ只中にあった頃だ。 あれから二年半。世の中は変わった。 被災地の頑張りの方向性は一貫しているが、社会のベクトルは大きくぶれ、被災地をネグレクトする方向に動いてしまった。そうした動きをここで詳細にあげつらうと却って論点がぼけてしまうので、一点に

文庫本として出版するにあたり、広報セクションを通してあらためて関係者の方々よりお話を伺った。 東日本大震災より3年近い月日が経っていたが、皆さんのご記憶は鮮明だった。 それだけ、あの災害は、皆さんにとって忘れえぬ思いが、体に刻みつけられていると、今更ながら深い思いに浸った。 私自身も、幾つかの記憶がある。 その多くが「恐怖」だ。 家々を呑み込む大津波、漆黒の

私が川口淳一郎さんと初めてお会いしたのは2013年9月14日、青森県八戸市で開催された講演会の控え室。 その講演会は「平成25年度 日本学術会議 東北地区会議公開学術講演会 サイエンストーク『宇宙ファミリー』」という格調高いがヤケに長い総合タイトルが付いたもので、川口さんと私は各々45分間の講演を行い、その後のパネルディスカッションにも加わることになっていた

私事になるけれども、私はいま、この1年ほど続いた雑誌連載を終えたところである。すこしほっとして、この河合さんの本を手にとり、読み、解説を書こうとしている。 連載の趣旨は地球と同様に、人類もまた、もう有限の存在であると考えてみたほうがよいのではないか、というもの。最後は、人類が永遠に続くのではないとしたら、人間は今後、自分を人類の一員として考えるだけではなくて

松下幸之助は、単なる日本の事業成功者ではない。彼は、日本のみならずアジアの人々から尊敬されており、事業家というよりも思想家のような存在にまで達している。 そのことを実感したのは、アジア取材でのことだ。マレーシアの首都クアラルンプールから西に20数キロ離れた港町クランにあるパナショップを見学した。主人は2代目だ。店にはパナソニック(旧松下電器)の製品が並ぶ。

本書は、イギリスのユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)ンピューターサイエンス学科の名誉上級研究員であるピーター・J・ベントリーの一般向けの科学書『The Undercover Scientist』を翻訳したものである。 ベントリーは、遺伝的アルゴリズム、進化的計算、人工免疫系、群知能などの複雑系の技術を、設計、制御、ロボット工学、ナノテクノロジー、
大学を卒業してから2年ほど、まともに仕事もせずにぶらぶらしていたことがある。学生時代に探検部で活動していたせいで、卒業してからも探検家になるという夢を捨てきれなかった私は、過ぎ去っていく青春にしがみつくように貧相な暮らしを続けていた。半年間ほどのニューギニア島の旅から帰国した後、登山仲間から土方のアルバイト先を紹介してもらい、工事現場に何週間も寝泊まりして、
恥ずかしい思い出話からはじめよう。 私にとって小林秀雄の批評は高校生時代の愛読書だった。当時は文庫でかなり出ていたから、文庫にあるものはすべて読んだ。初期の「様々なる意匠」も当然読んだ。それで、文学青年でもあった担任の国語の先生に、「こんど、「ようようなるいしょう」を読みました」と、自慢げに報告した。一瞬間があって、先生は「そうか」とだけ言った。 大学生にな
成瀬先生との最初の出会いは、武蔵野栄養専門学校時代に私が先生の教え子だったことです。出来の悪い教え子でしたが。そして卒業して10年くらい経ったときに再会しまして、「今は何をしているの」と質問され、料理人ですと答えたところ、「一緒に本を作ってみないか」と仰っていただき『魚調理の「こつ」』という本を共同執筆で柴田書店から出しました。現在、私は80冊ほど著作があり

本稿は、2013年12月に文庫化された『ケプラー予想』の訳者あとがきです。2005年4月に刊行された単行本『ケプラー予想』の訳者あとがきは こちらから 。 (※編集部) 本書『ケプラー予想 四百年の難問が解けるまで』の単行本のための翻訳に取り組んでいたときのこと、私はおもちゃ屋さんでビー玉を大人買いした。適当に見つくろった容器の中にビー玉を配置してみたり、お
400年の時を超えて、ある数学の命題が証明された。こう書くと、すぐさま「フェルマー予想(最終定理)」を思い出す人もいるだろう。しかし本書に取り上げられているのはフェルマー予想ではない。フェルマー予想よりもさらに長い歴史をもち、1900年にパリで開催された国際数学者会議では、大数学者ヒルベルトが重要な未解決問題のひとつとして提起した「ケプラー予想」である。 ケ

ここ数年、数学が何やらブームの兆しを見せている。『フェルマーの最終定理』や、『ブラック・ショールズ方程式』といった、難解な高等数学に関する本がそれなりの売れ行きを見せ、数学者をモデルにした映画もヒットしている。パズルブームは息が長いし、脳を鍛える手段として、数学のドリルをやることに対する一般の関心も高まっている。 このような数学に対する関心の高まりの背景には

文庫本を読むとき、なぜか解説を先に読む人が多いという。だから、この解説も、これからこの本に「挑戦」しよう、という読者を念頭に置いて書くことにした。 すでに本を読んでしまった人には、一部、話のくりかえしになるかもしれないが、どうか、あしからず。 娘が3歳なので、ウチには一杯(折れた)クレヨンがある。この本の解説を書かせてもらうことになり、久しぶりに塗り絵をやっ

東京・世田谷区成城、こんもりと庭木の繁った奥ゆかしいたたずまいの一角。木製の両開きの門の前からチャイムを鳴らすと、ゆかり夫人が朗らかに迎えてくださる。前庭には丹精された薔薇の花々が揺れているが、その日の目的に気を取られて、観賞するゆとりを持てたことはほとんどない。 玄関から左側の居間に通されると、一段高くなった奥の食堂のステレオの前で、低く流れる音楽に全身を

何をおいてもこれは食べなくてはなるまい。本書の解説を頼まれた私は、スケジュール表を睨んだ。これでもいちおう、食べ物についての本を数多く書いてきた人間である。林宏樹さんの素晴らしい筆によって、いかにマグロの「養殖」には詳しくなっても、味を知らずにいては、魚に申し訳ない。さて、どこで大阪まで食べに行けるかと考えたのだ。 近大の完全養殖マグロを食べさせるレストラン

この『古典夜話』は1975年に円地文子先生と白洲正子先生の対談を1冊にまとめたものです。改めて読んでおりますとお2人ともに素晴らしい時代に生きておられたと強く感じます。 私はこの職にありながら白洲先生とは全くご縁が無く、ご挨拶をさせて頂いたことも、またお仕事ですれ違ったこともありませんでした。白洲先生は幼少時からお能を習われて、女性としては初めて能舞台に立た

本書は、1人の天才 そう称して良いであろう 数学者の伝記である。 ジョン・ナッシュ(ジョン・フォーブス・ナッシュ・ジュニア)の名前は、「ナッシュ均衡」にその名を残す数学者として、また一般には、ロン・ハワード監督、ラッセル・クロウ主演でアカデミー賞四部門を獲得した映画『ビューティフル・マインド』(2001)とその原作本によって広く知られている。ナッシュは、プリ

学生スポーツの対抗戦といえば、日本では1903(明治36)年に始まった野球の早慶戦がよく知られている。東京6大学リーグ戦の最終週に開催される伝統の一戦はテレビ中継され、神宮球場は多くの観客で埋め尽される。 一方、イギリスではケンブリッジ大学とオックスフォード大学のボートレースが有名である。こちらもテレビ中継され、レースが行われるロンドンのテムズ河畔はこれまた

※2010年3月、単行本刊行時のあとがきは こちらから 。 同居が終わって4年が過ぎた夏のことだった。ニュースを眺めようと思ってパソコンを立ち上げた。調べたいことがあるわけでもなく、世界の動きが知りたかったわけでもない。ただの惰性からだった。 唐突に、「ヤノマミ」という文字が目に入った。液晶画面の中に『ヤノマミ族虐殺か』とあった。予期せぬ出来事だったから少し

今でも目を閉じれば、あの暗闇を容易に思い出すことができる。アハフーという声もはっきりと覚えている。機会があれば、もう一度ワトリキを訪れ、あの闇に包まれたいなとも思う。その一方で、畏れもある。また何かが壊れてしまうのではないかという畏れがある。 おそらく、彼らを否定してしまえば何も起きなかったはずだ。彼らは違うのだ、僕たちとは違うのだ、と切り捨てていれば、心身

学生の頃、素因数分解が苦手だった。 15=3×5 136=2 3 ×17 143=11×13 などと整数を素数の積で表す、というアレである。大体の見当をつけて割り算や掛け算を試してみるのだが、その見当のつけ方がどうもぴたっと決まらない。もたもたしているうちに試験の持ち時間はどんどん過ぎてゆく。 一方優秀な人は、ほとんど考えもせず、一目見ただけで正しく分解し、

野瀬さんとは、何度か酒を飲みながらお話をさせていただいたことがあり、いつか一緒に本を作ろうと言いながら数年が経っています。 前の『天ぷらにソースをかけますか?』も、大変面白く読ませていただきました。 天ぷらにソース、というのは最初やっぱり「うっそ~」と思ったけど、その本を読んでいくうちどんどん納得してしまった。「なーるほど、それもありだな」。ボクは、ものわか

1921年、春まだ浅き3月中旬、ヘミングウェイはブルックス・ブラザーズで仕立てた真新しいスーツを着て、セントルイスにハドレー・リチャードソンを訪ねた。その6ヶ月後、ふたりは北ミシガンの片田舎のメソジスト教会で結婚式をあげた。 このたび新潮文庫に収められることとなった『ヘミングウェイの流儀』のカバー写真はヘミングウェイがハドレーを訪問したときに撮られた1枚であ

アメリカ大統領は決まって毎朝8時半からインテリジェンス・ブリーフィングを受ける。政府部内の17を数える情報機関から選り抜かれてくる特上のインテリジェンスが国家情報長官を通じて報告される。PDBと略称される大統領への諜報報告は、戦争のさなかも、外遊先でも、休暇中でも、一日も欠かさず行われる。外交・安全保障上の最高機密が明かされるこの場に日本の総理として初めて同

本稿は、2013年8月に文庫化された『代替医療解剖』の訳者あとがきです。2010年1月に刊行された単行本『代替医療のトリック』の翻訳者あとがきは こちらから (※編集部) この文庫版のための訳者あとがきでは、本書の単行本が刊行されてからこれまでに起こった代替医療関係の出来事のうち、とくに興味深いと思われるものを2つほど取り上げてご紹介したい。 まず1つ目は、

今日、代替医療――すなわち、現代の科学によっては理解できないメカニズムで効果を現すと考えられる治療法で、科学者や多くの医師が受け入れていないもの――は、全世界で数兆円規模の市場に成長しているといわれる。しかし、はたして代替医療には、宣伝されているような効果があるのだろうか? お金を費やし、かけがえのない健康を託すに値するものなのだろうか? 本書は、さまざまな

この解説は難しい。私も登山家などと呼ばれているが、山野井泰史とは登山家としての器に差がありすぎて、解説の執筆は自分の小ささを強調することになりかねない。ただ、通り一辺倒のことを書いてお茶をにごすなら、私が書く必要はない。個人的なことになるが少し付き合っていただきたい。 我々の世代で登山を志す者にとって山野井泰史は本物のスーパースターだった。 もちろん私も憧れ

権威におもねることも、大勢に身を任せることも、よしとしない。この国のあり方について、言うべきことは穏やかに、しかしピシャリと言う。櫻井よしこさんの「覚悟」はいつも決まっている。 どんなに激しい議論の中でも、物腰は変わらない。その姿はときに、生徒を諄々と諭す教師のようにも映る。一方、メッセージは強烈だ。日本の国益とは何か。真の自立を達成するために何をすべきか。

本書は、連合国による日本占領期に米高級誌『ニューズウィーク』東京支局長をつとめた神戸生まれの英国人コンプトン・パケナム(1893~1957)の日記と手紙を発掘した青木冨貴子氏による戦後史の闇を読み解いた優れたノンフィクション作品だ。 時代の転換期(同時に混乱期でもある)には、山師、ハッタリ屋が政治的に重要な役割を果たすことがある。私自身は、ソ連崩壊前後にその